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September 10, 2008

時々思う。

さても。

子供衆がユミギリ式で「火おこし体験」したり、石器作ったり、竪穴式住居の模型をこしらえたりするのをお手伝いするのが最近のワタシの「主たるをしごと」だったりします。

その際、子供衆が怪我しないように注意するのが一番。出来ることならヒトネタもって帰って夕食の話題になれば大成功、と。

んで。

後日「はくぶつかんのみなさんへ」なんていう感想文を頂いたりもするのです。「はくぶつかんのひとたち」は子供衆に採点される立場なので、そーゆーのは「通知票」「業務評価」だと思って全員で回覧して一字一句丁寧かつ真剣に読んでます。

そーやってると自らの至らなさを痛感するコトってな多々ありまして、例えば...

むかしのひとは大変だったんだなと思いました。


...というようなフレーズで終わっちゃってる感想文が多かった時なんかは考え込みます。

何故ならば「○×△でした」はいいとして、続けて「なので自分はどうしたいです」ってのをチラとでも意識に浮かべて欲しい、と。持って帰るネタは自分の考え。その考えを口にすることで夕食の席でも盛り上がってもらいたいな、と、それを目的にダンドリから説明の内容から煮詰めているのですね真剣に。

んだもんですから、「むかしのひとは大変だったんだなと思いました。」のあとに「無駄な火をつかわないようにしようとおもいます。」「今のどうぐを発明したひとはすごいとおもいます。」でも何でも無茶でもウケ狙いでも、一言くっついてる感想文が多かった時には、小さく踊っちゃったり事務室の雰囲気が明るくなったりするです(^^ゞ。

どの時代に生きたって人の一生のメンドウクサさはかわらないので、道具の無かった時代に生きてりゃエラいってモノでもないです。ワンオフの宝物を作り出す個人の技は凄いし守り伝えるべきかもしれないけど、均質なモノを大量に安定して供給する技術だって途方もなく大切で発展させて行くべきコトなように思います。

どんな時代でも技でも技術でも、受け止めて考えて伝えられねばどーにもなりますまいに、と。経験から得た自分の考えをきちんと伝え、それについて別の人の考えも聞き、その上で次の段階へ進んでゆく練習はしといたほーがいいんぢゃね???、と。

いえね。

一方的に自分の考えを主張するのでは藝がないし、正しいコトでも聞いてばっかり押しつけられてばっかりではハラがたつしネジクレるし、そこらへんのバランスをとって行くコトが文化ってモンぢゃねーかぃなぁ...科学する心ってそーゆんでないだろーか。モノを作る心ってそーゆーんではないだろーかねぃ...地元の歴史に興味を持つ持たないは個人の自由だし好きずきだけど、コミュニケーション能力は有った方がいいよなぁ、なんて思ってるものですから、さ。

そんなコト考えながら「はくぶつかんのひとたち」は、実業の世界から見たらどーでもいいようなコトを大真面目にアレコレしてますのさ今日もまた。

とはいえ目的が「夕食の話題の提供」なんだから、文教施設ってなーんっとに浮世離れしててヤクタイモナイったら無いんですけどね(^_^;)。

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Comments

> むかしのひとは大変だったんだなと思いました

ワタシはコレ書いた子供の気持,よーくわかる気がしますね.当ってるかどうか知りませんがw

ってのは,弓錐で火を熾すとか,土を手捻りして土器を作るとか,木や石を割ったり削ったりして道具作るとかいうテクノロジそのものと,イマドキの子供が日常にPSPとかで触れてるテクノロジとは,結節点が無いんですよ.だから,「ただ不便で大変」としか感じられない.

これが西欧文明だったら,そういうハンドクラフト文化と機械文明ってのは,真っ直ぐ繋がってるし,たとえ現実には繋がってなくても,繋がってると「みなす」史観で教育されます(「テクネ:アルス」は「テクノロジ:アート」へと止揚されるわけですな)んで,その間に断絶を感じないで成長出来る.ところがまぁ日本では明治時代に,そういったものを切り捨て (以下,釈迦に説法なので中略)

ともあれむしろ,現代のインフォメーションテクノロジの起源を論じるなら,それは,「呪術」とか「魔法」だとワタシは思います.仮にかつての「魔法」が,紆余曲折を経ながら「科学技術」へと繋がって行くような史観があれば,つまり,現代技術を支えている合理性というのは後付けであって,本質ではないのだ.ということが伝えられたなら,そういうことが何も解らぬ子供とて,自分たちが普段見ているDSやPSPの液晶画面に浮かび上がる画像と,古代人が弓錐で熾した火の向うに見たものは,同質なものだと感じ取れるのではないでしょうか.

まぁ,ワタシの仮説が妥当だとしても,子供を夜に集めて古代呪術を再現してみる……ってわけにも行きますまいがねぇ.

Posted by: 「い」 | September 10, 2008 at 23:16

>「い」様

学芸担当には宗教民俗学の人(専攻分野は山岳修験)ってのもおりますので、やろうと思えば加持祈祷体験やマジナイ体験ってのも出来ます(w。

その人のお話によりますと、明治時代にヤラカシた数々の事の中でも、「廃仏毀釈」っていうのは本当に無茶だったそうです。

物理的に破壊したモノも数知れませんが、廃仏毀釈により絶えたor意義が不明になった民俗風習は数知れず...本邦では一般に歴史学や民俗学が「古いことを掘り返す」学問であり、よりよい将来を考える為に現在に至る流れを知るためのモノでは無いと見なされる原因の一つではないか、と、そんなことをこの間「どきやき体験」の火の番しながら話してました。

Posted by: 1sugi | September 11, 2008 at 21:14

たしかに「魔法」ですよね、今のITというのは。

iPhoneに向かって「テクマクマヤコン」と唱えていてもおかしくない気がします。

Posted by: akira isida | September 12, 2008 at 19:13

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