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May 22, 2010

まとまりそうでまとまらない。

さてもそののち。


近年「リサイクル着物」というのが流行っておるそうです。大正末から昭和初期に仕立てられた、当時流行りの大柄でポップな柄の着物たちを普通に着てあるくのがよいらしいのですな。

もちろん貧富の差が今とは比べものにならないほど激しかった時代だし(年金も健康保険も無い)、このみの柄を織らせるなり染めさせて仕立て、帯や小物もあわせるなんてこたぁ誰にでもできたことではない。よって今残ってるモノにしても、当時の上流なご婦人のここ一番の勝負服であったに違いないと愚考いたしますが如何か?。諸々と史料みても少なくとも普段着ではないですわな。

ともあれ、明治になって機械紡績が入り自動織機ができあがり、とはいえ熟練のお針子さんも沢山いて(明治には裁縫学校がはやりますからな)人件費も安い。洋裁というものも入ってくるし、実際軍隊役所方面は洋服だし、天皇様だって洋装でありました。

明治に入って爆発的にモノは増えますけど、まだまだチホウノイッパンタイシューの身の回りまでは及んでいない部分が多い。なにせ布が高いから、比較的余裕のある人が通った裁縫学校でだって運針の基本は和紙でやってるし、実物何着分もの布なんて買えないから、ミニチュアの「雛形」を作って練習してたんですからねぇ....洋装に押されてたし、みんながみんなモダンな着物を普段から着てたとは思えない。

新しい流れに飲み込まれそうになりつつも、なんとか生き残ろうと高級・カスタム路線にシフトして、大胆な柄や(架空の花模様が大流行してなかったかなこの時代?)らなにやらで、都市生活者というニッチマーケットを着物業界が狙った時代。いわば実用品の主役から滑り落ちる直前の最後の燦めきかいな、と>この時代の着物

機械と人手が共存してた最後の時代の上物だもの、そりゃぁ今みたって凄い。現在のごとく着物が完全な非日常世界のモノではなかった時代に憧れたモノだもの、まとまりだってよい...。


なんて考えて来ますとね、今現在のクルマ・バイクのありようと競べますとね、若い衆が'80年代のレプリカ系とかキャブエンジンとかキックスタートや2stレプリカに必要以上に憧れてるのを見聞きしますとね、少なくとも実用品としてもう終わってるんじゃないかな...いやいや、趣味の対象としても終わってるんじゃないかなって思うのです>クルマ・バイク....少なくともメジャーではないのかな、と。


...とまぁSR君の空冷フィンをハブラシで掃除しながらぼけーっと考えたりしてる訳です。雑な考えなので、もうちょっと煮詰めるとまとまりそうなんだけどなかなかこれが。。。

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雑爼」カテゴリの記事

Comments

凡そヒトの造るモノってのは,どんな分野にも古典期てのはあるものかも知れませぬなぁ.そしてそれが過ぎると大概は長々と中世のまま続き,消えるときはヒッソリ消える.ルネサンスは殆ど来ない.…というような.

だいたい古典期を画する時代てのは,2つの強い相互作用があると私は思うております.
一つは技術革新ですな.そしてもひとつは生産量の増大.これはどっちが原因でどっちが結果というものではござんせん.

その伝で言うと確かに,内燃機バイクやクルマは中世に入りましたですな.特にバイクのモータースポーツは完全に中世でありましょう.

何せ既に入門級の市販モトクロッサやロードレーサが殆ど存在しない.入門級のロードスポーツも存在しない.今あるのは既存のユーザ向け機種と,残存した古典期の作だけ.こりゃもう,近い将来には喪われた古典期の技術,かつての帆船や蒸気機関や脱活乾漆や唐三彩や螺鈿と同様になることは疑いありませぬ.

まぁこういうのは,しょうがないっちゃぁしょうがないので,中世に生まれた人が古典期を羨むのも初めだけの話,そのうちどうでもよくなるものなのでしょうし,古典期に生まれた我々は,暮れ行く古典時代の秋晴れを楽しむ……てぇことになりましょうかねぇ.

Posted by: 「い」 | May 23, 2010 at 04:22

モノづくりには絶頂期があって,バイオリンでしたらストラディバリウスでしょう.もはや超えるものは作りようが無い.

クルマもすでに絶頂期は過ぎ去っていて,クルマの場合のストラディバリウスは1930年代のロールスだと思います.機械としての精度,素材の良さ,機械仕事と手仕事のバランス,どれをとっても超えようがない.

今のクルマとはストラディの音を上手に電子装置でコピーしたものって気がするんですよ.

Posted by: akira isida | May 23, 2010 at 06:52

>「い」様

ヒコーキ,クルマ,バイク....ノリモノ一般の「百周年」ってのに一通り立ち会うことができたってのは、面白い時に生まれ合わせたもんだな、と、思っております。

古典期が終わったといえばカメラやPCやインターネットもでしょうか??。

Posted by: 1sugi | June 02, 2010 at 21:30

>isida様

1930年代のパッカードってのも好きだったりします。

農機具でも何でも「改良」ってつけるのが流行った時代もあるし、便利に気軽に大量にあるのは悪いことではないし、世の中は変化してゆくもの...

最近、家財道具の今昔がとても気になってあれこれしてます。懐古趣味ではなく、道具と社会の変遷を透かして見る未来には何が見えるのか...あまり大きなコトはできませんが、ノスタルジー一本槍ではない展示が組めたら、と、あーだこーだとやっております。

Posted by: 1sugi | June 02, 2010 at 21:38

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